元シリコンバレーPMが歯科診療所で発見したAI導入法 a16zが3500万ドル出資
創業者はまず診療所で数カ月働き、最初の100診療所には現地へ出向いて導入しました。顧客が投資家に語った最大の価値は、取りこぼしていた収益を回収できたことでした。
- a16zが3500万ドルを投じたこの会社の創業者は、まず歯科診療所で数カ月勤務。毎日、数百件の保険金の入金を1件ずつシステムへ入力しました。
- AIエージェントの活動の半数はコーディングで、医療はわずか1%。ただし、この数字は読み違えやすいものです。
- 顧客が投資家に語った最大の価値は、創業者自身の訴求点とは異なっていました。
シリコンバレーのPMが歯科診療所で数カ月働いた理由
a16zは2026年6月3日、Lassieという会社の3500万ドルのシリーズAを主導しました。同日、同社創業者の手記を自社メディアに掲載しています。注目すべきは資金調達ではありません。業界特化型AIエージェントの導入実績を、具体的な数字で明かした珍しい事例だからです。米国の歯科診療所700施設、49州、年間経常収益1000万ドル超。そして「1つの業界をどう攻略するか」を、驚くほど具体的に書いています。その手法は、そのまままねできるほど泥臭いものでした。
物語は雑談から始まります。著者のSteijn Pelleはアムステルダムからサンフランシスコへ移り、Robinhoodで初期のプロダクトマネージャーを務めていました。ある日、かかりつけの歯科医から診療所の運営方法を一通り聞き、あぜんとします。その歯科医とチームは、毎月200時間を事務作業に費やしていたのです。
月200時間とは、フルタイムの従業員1人が丸1カ月、書類処理だけを続けるのと同じです。年間では2400時間になります。
しかも、これは例外ではありません。全米約50万カ所の診療所が同じ状況にあり、各施設はこうした業務に年間約20万ドルを費やしています。しかし、経営者は担当者を採用することすら難しく、まして定着させるのは至難の業です。
そこで彼はRobinhoodを辞めた後、本当に数カ月間、朝9時から夕方5時まで働きました。最初はメンロパークの歯科診療所、その後はスクラントンの消化器科診療所で勤務しました。
彼は自分を米ドラマ『The Office』のJim Halpertのようだったと表現しています。仕事の流れはこうです。朝、保険会社のWebサイトから数百件の支払情報が入った巨大なPDFをダウンロードします。その後数時間かけて、数百件を1件ずつ診療所管理システムへ入力。次に、システムが「請求時期」と判定した数百人の患者を載せた40ページの一覧を印刷し、さらに数時間かけて残高を1人ずつ確認して請求書を作ります。
毎月200時間—数百件の入金と請求を手作業で照合
「事務作業」という言葉だけでは抽象的すぎます。中身を分解しなければ、AIが何を引き受けたのか理解できません。米国の歯科診療所では、次のようにお金が流れます。原著では冒頭しか説明されていないため、以下は当サイトが公開資料を基に整理したものです。
診療所管理システム(PMS)
診療所が使う独自システムです。カルテであると同時に帳簿でもあり、患者、処置内容、入金額、未収金がすべて記録されます。
保険請求
患者の治療後、診療所が保険会社へ提出する支払申請です。処置内容と、契約上支払われるべき金額を記載します。
医療請求クリアリングハウス
診療所と保険会社の間に入る中継機関です。診療所ごとに異なる保険請求の形式を、各保険会社が受理できる形式へ変換して送ります。銀行間送金の清算に似ており、両者の形式が合わないため、間に「通訳」が必要なのです。
電子資金振替(EFT)
保険会社が診療所の銀行口座へ直接送金する方法です。従来の紙の小切手に代わります。
給付内容説明書(EOB)/電子支払通知(ERA)
EOBは通常、患者に給付内容を説明する書類です。ERAは保険会社から医療機関へ送られる電子的な支払明細で、どの患者と処置への支払か、各項目の支払額、拒否された項目などを示します。上の写真で「E.O.B.s」と表示された引き出しには、こうした書類が収められています。
これらを実際の流れに戻すと、1件の歯科治療費は次のように処理されます。
患者を診療し、実施した処置を管理システムへ記録
詰め物、抜歯、X線撮影など、各項目にコードと料金があります
保険請求を提出し、クリアリングハウスを経由
保険会社が受理できる形式へ変換します
保険会社が審査後に支払い、明細も送付
電子送金または紙の小切手。各項目の支払額と拒否項目も記載
入金と、提出済みの保険請求を1件ずつ照合
照合後、各項目を管理システムへ記帳します
ここで手作業が停滞保険適用後の患者負担額を計算し、患者へ請求書を送付
例の40ページの一覧は、この段階で印刷されます
支払い拒否・過少支払いとなった保険請求を抽出し、1件ずつ異議を申し立て
見つけられなければ、その収益は回収できません
ここも手作業米国の歯科診療所における入金フロー(公開資料を基に当サイト作成)。200時間の多くを占めるのがステップ4、直接的な収益損失が起きやすいのがステップ6です。
つまり「毎月200時間の事務作業」とは、数百件の入金と数百件の保険請求を手作業で照合することなのです。
Steijn Pelleは数百人の小規模事業者と話し、驚くほど共通点が多いと気づきました。第1に、大半は望んで経営者になったわけではありません。Steijn Pelleは彼らをreluctant operatorと呼びます。医師は患者を診たい。配管工はトイレを直したい。ネイリストは施術に専念したい。書類仕事は最も避けたいのに、担当者がいないため自分でやるしかありません。第2に、どの小規模事業も基本業務は同じです。データをシステムへ入力し、システム間で移し、顧客に対応して取引を完了させます。
具体例として挙げたのが、Mark Zuckerbergの父である歯科医のEd Zuckerbergです。彼はかつてニューヨーク州Dobbs Ferryで自身の歯科診療所を経営していました。1日の診療を終え、家族と夕食を取り、子どもたちが眠った後も、午後11時になると階下の書斎で書類仕事をしなければなりませんでした。
これまで、ソフトウェアはこうした仕事をなくせませんでした。作業を画面上へ移しただけです。ダッシュボードやキュー、フォームを用意し、少しましなクリック先を提供したかもしれません。それでも、誰かがクリックし続ける必要があります。
Steijn Pelle · a16z News · 2026-06-03
AIが変えるのは、まさにこの点です。ソフトウェアが初めて整理されていない情報や状況を理解し、複数のシステムを操作して、仕事を最後まで完了できるようになりました。そこで彼らは問いかけました。小規模事業を自律的に運営できるソフトウェアを作れないか、と。
AIエージェントの半数がコードを書き、医療は1%
では、AIがこれほど高性能になったのに、なぜ人間が今も1件ずつ入力しているのでしょうか。公開データから答えが見えてきます。Anthropicは2026年2月、自社API上の約100万回に及ぶエージェントのツール呼び出しを業界別に集計した研究を発表しました。
エージェントのツール呼び出し比率(%)· 998,481件
Anthropic『Measuring Agent Autonomy』Figure 6(2026年2月)のデータ。集計対象は同社の公開APIにおけるエージェントのツール呼び出し回数です。当サイトが原図を日本語で再作成し、数値は一切変更していません。
エージェント活動の半分はコーディングです。残る半分は16業界に分散し、9%を超える業界はありません。医療は1.0%、法務は0.9%です。
この小さな数字は読み違えやすいものです。示しているのは、まだ黎明期にある市場です。医療におけるAIビジネスは、ほとんど始まっていません。
Anthropic自身も研究の脚注で、創業者の説明より現実的な理由を示しています。ソフトウェアが先行したのは、コードなら検証しやすいからです。実行すれば正誤が分かり、誤りも発見しやすい。一方、法務、医療、金融では、エージェントの仕事が正しいか確かめるために、実務そのものと同等の専門性が必要です。そのため、信頼の構築に格段に時間がかかります。
診療所を取り巻く数十の外部システム、障害は別々に起きる
空白市場なら、なぜ誰も成功してこなかったのでしょうか。手記は3つの障壁を挙げています。中でも2つ目が最も具体的です。
第1の壁:「だいたい正しい」では済まない
診療所の経営者が、保険請求は正確で、患者とのやり取りに誤りがなく、保険会社からの結果も帳簿へ正しく反映されたと信頼できなければなりません。1件ごとにお金が動き、規制対象の機密医療情報も扱います。
第2の壁:癖の違う数十の外部システムに同時対応
1つの歯科診療所が、数十の保険会社ポータル、複数の医療請求クリアリングハウス、1つの診療所管理システム、1つの銀行口座につながっています。統一規格はなく、調整する主体もいません。
それぞれが独自の方法で動き、それぞれ異なるタイミングで故障します。
Steijn Pelle · a16z News · 2026-06-03
当サイト作成の模式図。診療所の入金業務を引き受けるには、周囲のシステムすべてに同時対応しなければなりません。しかも、各接続が壊れるタイミングは異なります。
第3の壁:作れても、経営者に届かない
小規模事業者へ販売した経験があれば分かるでしょう。彼らとの接点を持つのは難しく、時間もほとんどありません。昼夜を問わず、顧客対応と書類仕事に追われています。接触できても技術ユーザーではないため、導入は速く、効果は直ちに現れなければなりません。そうでなければ試してもくれず、毎日使う習慣など到底生まれません。
この点では、2人の創業者に実績がありました。Steijn PelleがRobinhoodにいた頃、チームは口座開設の人手審査をほぼゼロにするまで徹底し、それを最初期に実現した証券会社の1つとなりました。もう1人の共同創業者Frédéric Renkenは、Superhumanで最初のプロダクト担当を務めています。同チームが執念を燃やしたのは、新規ユーザーが初めて製品を使う際の摩擦を1つずつなくすことでした。
泥臭い解決策—まず現場で働き、1軒ずつ導入
では、どう成功させたのでしょうか。答えはモデルとほぼ無関係です。実行したのは2つだけです。どちらもシリコンバレーが長年嫌ってきた泥臭い仕事であり、Paul Grahamが十数年前に書いた2本の記事に原型があります。
一般的な方法
コンサルへ依頼するか、経営者とコーヒーを飲んで話す
Paul Grahamは2012年、イディッシュ語で「疲れる、面倒で誰もやりたがらない苦労」を指すschlepという言葉を紹介しました。優れた起業アイデアは目の前にあることが多いのに、面倒な仕事の塊を伴うため、人間の無意識が自動的に遮断し、存在すら見えなくなる。彼はこれをシュレップ・ブラインドネスと呼びます。Stripeは典型例です。オンライン決済がどれほど苦痛かは誰もが知っていたのに、皆がレシピサイトを作りに行きました。
彼らの方法
診療所で数カ月働き、業務を自分の手で経験
数百万ドルの保険金の入金を照合し、数千件の保険請求を提出し、数百人の患者へ請求書を発行しました。週末だけではなく、数カ月続けました。これによって、200時間がどの作業に消えているかを把握できたのです。後に、自社製品は競合を1桁上回る性能だと言い切れた根拠もここにあります。
一般的な方法
「いいですね。リンクを送ります」
Paul Grahamは『Do Things that Don't Scale』で、Stripeのある手法を紹介しています。YC内部ではCollison installationと呼ばれていました。ほかの創業者が「ベータ版を試しませんか」と尋ね、相手が同意すると、普通は「ではリンクを送ります」と答えます。しかしCollison兄弟は待ちません。「ノートPCを貸してください」と言い、その場で導入したのです。
彼らの方法
最初の100診療所には飛行機で出向き、その場で導入
フロリダ、カンザス、オレゴンへ飛び、経営者の肩越しに、診療所管理システム、銀行口座、各種データソースを接続する様子を観察しました。100施設への導入を終えて初めて、その後の顧客が自分でシステムを接続できる方法を理解したのです。
Lassieの共同創業者2人。窓辺に積まれた紙と机上に広げられたフォームは、彼らが数カ月間、毎日処理していたものです。画像:a16z News。
700診療所、49州、年間経常収益1000万ドル
では、2つの泥臭い手法は何をもたらしたのでしょうか。2026年6月3日時点で公開されている数字は次の通りです。
後半2つの数字は整合性を確認できます。25万時間 ÷ 700施設 ÷ 12カ月 ≈ 1施設当たり月29.8時間。「平均30時間」と一致します。成長の中心は口コミと既存顧客からの紹介で、毎月数十施設が増えています。ある顧客は「あなたたちは私の結婚生活を救ってくれた」と語りました。
a16zが主導した今回のシリーズAは3500万ドルで、Alex RampellとOlivia Mooreが担当しました。同じ発表では、市場規模を全米約16万の歯科診療所としています。一方、著者は手記で、医科を含む診療所50万施設という別の数字を挙げています。
現在担うのは資金フローの2段階
Lassieの製品ページには、3つの機能が掲載されています。先ほどの資金フロー図と照らし合わせれば、担当範囲は明確です。
1 · 電子支払の登録(Enrolls electronic payments)
各保険会社の電子支払を診療所に代わって登録し、紙の小切手や郵便を待つ必要をなくします。
2 · EFT照合(Reconciles EFTs)
銀行口座に入った電子送金を、保険会社、患者、保険請求と正確に照合します。
3 · 入金記帳(Posts payments)
照合結果を項目ごとに診療所管理システムへ記帳し、帳簿を常に最新の状態に保ちます。
資金フロー再確認:濃色の2段階を現在担当
治療記録
1保険請求
2保険支払
3照合・記帳
4患者請求
5異議申立て
6投資発表では、保険請求を読み、対応が必要な請求を抽出する機能にも言及しています。これはステップ6の前半です。「小規模事業を自律運営させる」は将来像であり、現在の導入範囲は「歯科診療所の保険金の入金の照合と記帳」です。
a16zも発表で同様に説明しています。歯科を最初の市場に選んだ理由は、痛みが強く、プロセスが構造化され、反復性が高いうえ、扱う金額が大きいからです。より大きな構想は歯科に限りませんが、それは今後の話です。
2つの数字を混同しない
手記によると、このシステムが置き換えようとしているのは「年間20万ドルの事務人件費」です。同じ記事が示す現時点の成果は、1施設当たり月平均30時間の削減です。
2つを並べると、すでに20万ドルを削減したように読めます。米国の歯科診療所における事務職の一般的な時給で計算すれば、月30時間は数百〜1000ドル程度の人件費、年間では数千〜1万ドル強です。20万ドルは業務全体の年間コスト、30時間は現時点の削減実績です。両者にはまだ大きな隔たりがあります。
別の数字もあります。1000万ドルの年間経常収益 ÷ 700診療所 ≈ 1施設当たり年間1.43万ドル、月約1190ドルです。これは当サイトが2つの公開数値から逆算した規模感の目安です。Lassieは料金を公開しておらず、実際には診療所の規模別に異なる可能性があります。
また、この手記が一切触れていない点が2つあります。AIが保険請求を誤った場合、誰が責任を負うのか。患者データに関するHIPAA(米国の医療プライバシー法)の要件を、どう満たすのか。医療会計と患者情報を直接扱う製品なら、真っ先に問うべき問題です。しかし本文には「より正確でなければならない」としか書かれていません。当サイトでも公開された回答は確認できませんでした。
顧客が支払う本当の理由は、創業者の訴求と違う
しかし数字の背後では、実際の購入理由が別のものへ変わっていました。創業者の手記と同日の投資発表を並べて初めて見えてきます。双方が語る「最大の利点」は、着地点が異なっているのです。
創業者が語る訴求点
医師に夜の時間を返す
「医師は2倍の患者を診て、時間通りに帰宅し、本当に休暇を取れる」。この物語の中心は時間と生活の質です。午後11時にも書斎で書類を処理していたEd Zuckerberg医師や、「あなたたちは私の結婚生活を救ってくれた」という言葉が例として添えられています。
投資発表で顧客が語った価値
取りこぼしていた収益を回収
a16zによると、顧客が最も重視したのは、過少支払、拒否、見落としていた保険請求を回収できたことでした。業務を速くすること以上に重要だといいます。資金フロー図ではステップ6に当たります。抽出できなかった請求は、以前ならそのまま失われる収益でした。
時間の節約は感覚ですが、取りこぼした収益の回収は帳簿に表れます。前者は経営者を喜ばせ、後者は毎月の更新料を納得して支払わせます。数字で計算できるからです。
同じ発表には、製品の性格を決定づける一文もあります。Lassieはコパイロットを作りません。コパイロットは、診療所に人間が確認すべき仕事を増やしてしまうからです。彼らが目指すのは、仕事を直接完了させることです。
この事例から、そのまま使える5つの手法
この会社そのものを離れて考えたとき、どんな手法が残るのでしょうか。以下の5つは、すべて先ほどの事実と対応しています。「業界特化型AIには将来性がある」といった空論から導いたものではありません。
1 · 調査だけで済ませず、その仕事を数カ月やってみる
調査で分かるのは「書類仕事が多い」ことまでです。自分で経験すれば「ステップ4と6で詰まる」と分かります。彼らは診療所で数百万ドルの入金を照合し、数千件の保険請求を提出し、数百人の患者へ請求書を発行しました。だからこそ、200時間が具体的にどの作業へ消えているのかを把握できました。製品がどこから切り込むべきかは、この解像度で決まります。自分に問いましょう。参入したい業界の業務を、最初から最後まで自分で一度でも経験したか、と。
2 · 誰も避ける苦労を選び、4条件で業界を絞る
Paul Grahamのシュレップ・ブラインドネスには実用的な意味があります。誰も触れたくない仕事ほど競争は少なく、完成後に追随するのも難しくなります。先ほどのAnthropicの分布図は、「まだ誰もいない場所」を示す地図として読めます。どこを選ぶかについて、a16zは歯科を選んだ理由を4つ挙げています。そのまま選別基準にできます。痛みが強い、プロセスが構造化されている、作業が反復的、1件当たりの金額が大きい。
3 · 導入後、顧客のタスクを減らす
a16zはLassieを、コパイロットではないと位置付けています。コパイロットは、診療所に人間が確認すべき作業を増やすからです。この基準は、自社製品の評価にもそのまま使えます。導入後、ユーザーの仕事が1つ減るのか。それとも監視すべき画面が1つ増えるのか。前者は人件費予算を置き換えられますが、後者はツール予算にとどまります。
4 · 最初の100顧客には人手で導入し、自社の理解を深める
彼らはStripeの手法を徹底し、フロリダ、カンザス、オレゴンへ出向いて1施設ずつ導入しました。見返りは100施設分の売上ではありません。導入を終えて初めて、非技術ユーザーがどの段階でつまずくかを把握し、101施設目が自力で接続できる可能性が生まれました。セルフサービスのプロセスは、人手によるサービスから育つのです。
5 · 顧客が他人に製品をどう紹介するか聞く
創業者が語るのは「医師に夜を返す」。顧客が投資家に語るのは「取りこぼした収益を回収できた」。どちらも事実ですが、数字で計算でき、毎月の更新理由になるのは後者です。製品が一定段階へ進んだら、自社で書いたポジショニング文より、顧客が実際に語る言葉の方が価値を持ちます。
削減した時間は、解雇につながらなかった
最後に、誰もが尋ねる疑問が残ります。毎月数十時間を削減した後、事務職はどうなるのでしょうか。
著者は、経済学の古い概念である労働塊の誤謬(lump of labour fallacy)を持ち出します。世の中に存在する仕事の総量は固定されており、機械が多く働けば、人間の仕事は必ず減るという思い込みを指します。
700の診療所を見た結果、彼はこれが誤謬だと確信したといいます。経営者は生まれた時間を、診療所の拡大、患者体験の改善、本来もっと価値のある仕事に使いました。これは当事者側の説明で、第三者データの裏付けはありません。ただし、別の公開研究とも方向性は一致しています。
Lassieが次に取り組むのは2つです。第1に、情報をもっと速く広めること。数百万人の経営者が、これが可能だとまだ知りません。第2に、どの経営者でも自力で使い始められる導入プロセスを作ること。その先では機能を深め、より多くの業務を引き受け、各社がすでに利用しているさらに多くのツールへ接続します。
手記は採用案内の一文で終わります。
数字に関する注意:本稿で引用した700診療所は、2026年6月3日時点の数字です。本稿公開時、Lassieのトップページには「2,500+人の医師」、会社ページには引き続き「700+診療所」と記載されています。医師数と診療所数は単位が異なり、通常は1施設に複数の医師がいるため、直接比較できません。
歯科診療所で数カ月働き、700施設が使うAIを開発
Lassie共同創業者の手記と、同日発表されたa16zの投資資料を比較。3500万ドルの資金調達を支えた導入手法を、図解付きの1ページで解説します。
↓ 1ページで読了 · 動く図解付き
a16zは2026年6月3日、Lassieという会社へ3500万ドルを主導出資しました。同日、自社メディアに共同創業者Steijn Pelleの手記を掲載しています。物語の発端は、かかりつけの歯科医が彼に語った事実でした。診療所のチームは毎月200時間を事務作業に費やしていました。フルタイム従業員1人が、丸1カ月書類だけを処理するのと同じです。
Robinhoodを辞めた後、彼は本当に歯科診療所で数カ月働きました。朝、保険会社のWebサイトから数百件の支払情報を収めたPDFをダウンロードし、数時間かけて1件ずつ診療所のシステムへ入力。さらに40ページの一覧を印刷し、残高を1人ずつ確認して請求書を作りました。
米国の歯科診療所における入金フロー(公開資料を基に当サイト作成)。保険請求とは、診療所が保険会社へ提出する支払申請です。入金後、数百件の入金と数百件の請求を人手で1件ずつ照合します。200時間の大半はこの工程に費やされます。
AIがこれほど高性能なのに、なぜ今も人が1件ずつ入力しているのでしょうか。Anthropicは2026年2月、自社API上の約100万回に及ぶエージェント—自らツールを使い、仕事を完了するAIプログラム—の呼び出しが、どの業界で使われたかを集計しました。
エージェント活動の半分はコーディングで、残りは16業界に分散し、9%を超える業界はありません。Anthropicの説明では、コードは実行すれば正誤を確認できます。一方、医療、法務、金融では、AIの仕事を検証するにも実務と同等の専門性が必要です。そのため信頼構築に時間がかかります。
医療1.0%という数字は、意味を逆に読みやすいものです。これは、まだ立ち上がっていない市場を示しています。
難所はモデルではありません。歯科診療所は、数十の保険会社ポータル、複数の医療請求クリアリングハウス、1つの診療所管理システム、1つの銀行口座につながっています。Steijn Pelleの言葉を借りれば、「それぞれが独自の方法で動き、それぞれ異なるタイミングで故障する」のです。彼らの解決策は、シリコンバレーが長年嫌ってきた2つの泥臭い仕事でした。
「では、リンクを送ります」
「PCを貸して」、現地で即導入
この数カ月で、2人の創業者は数百万ドルの保険金の入金を照合し、数千件の保険請求を提出し、数百人の患者へ請求書を発行しました。そこで初めて、200時間がどの作業へ消えているかを理解します。最初の100顧客には、フロリダ、カンザス、オレゴンへ1軒ずつ出向いて導入しました。その100施設を終えて初めて、101施設目が自力で接続できる方法を把握したのです。2つの発想は、Paul Grahamが書いたschlep—疲れて面倒で誰もやりたがらない仕事—と、Stripeが実践した現地導入に由来します。
2つの泥臭い方法がもたらした実績。2026年6月3日時点:
後半2つの数字は一致します。25万時間 ÷ 700施設 ÷ 12カ月 ≈ 1施設当たり月29.8時間。すべてLassieの手記とa16zの投資発表に基づく数字で、第三者による検証はありません。
銀行口座への送金を保険会社、患者、保険請求と照合する
照合結果を項目ごとに診療所管理システムへ記帳する
拒否への異議申立ては、要対応の請求を抽出する段階まで
歯科以外の実績はなく、「小規模事業の自律運営」は将来像
- 手記が置き換えようとしているのは「年間20万ドルの事務人件費」ですが、現時点の成果は1施設当たり月30時間の削減です。米国の歯科事務職の時給で計算すると、年間数千〜1万ドル強。20万ドルは業務全体の上限、30時間は現在の到達点です。並べると同じ成果に見えるため注意が必要です。
- AIが保険請求を誤った場合の責任や、患者データに関するHIPAA(米国の医療プライバシー法)への対応は、全文で触れられていません。
- 700診療所は6月3日時点の数字です。現在、Lassieのトップページには「2,500+人の医師」、会社ページには「700+診療所」とあります。医師数と診療所数は単位が異なり、直接比較できません。
本稿で最も価値のある発見は、創業者の手記と同日の投資発表を並べて初めて見えてきます。双方が語る最大の利点は異なります。
医師に夜を返すことです。2倍の患者を診て、時間通りに帰宅し、本当に休暇を取れる。例として、午後11時にも書斎で事務作業をしていたEd Zuckerberg医師と、「あなたたちは私の結婚生活を救ってくれた」という言葉が紹介されています。
以前は取りこぼしていた過少支払、拒否、見落としの保険請求を回収できたことです。仕事を速くすることより重要だといいます。フロー図の最終段階に当たり、抽出できなかった請求は以前ならそのまま失われる収益でした。
時間の節約は感覚ですが、取りこぼした収益の回収は計算できる帳簿上の価値です。毎月の更新理由にもなります。同じ発表には、製品の性格を決定づける一文があります。Lassieはコパイロット—隣で提案し、人間が判断する支援ツール—を作りません。コパイロットは、診療所に人間が確認すべき仕事を増やすからです。
1件ずつシステムへ入力。午後は40ページを印刷し、
残高を確認して請求書を作る。
1件ずつ照合しなければならない。
1人が丸1カ月
紙だけを処理
なぜ誰もやらない?
「ではリンクを
送ります。」
時間通りに帰宅し、
本当に休暇を取る
- × 治療記録、保険請求、患者請求は診療所が担当
- × 異議申立ては要対応の請求抽出まで
- × 歯科以外の実績はまだない
